去る7日 葬儀後のお寺参りにここ大超寺に行きました。
山門をくぐって右手を見ると、この石碑が眼に入ります。
末広鉄腸の墓 とありますね。
歴史書を見ると (1849~1896)とあり
明治中期のジャーナリスト。小説家。政治家で。 上京し新聞、言論界で活躍し
さらに 衆議院議員にもなって、自由民権思想を進めた・・・とあります。
宇和島の誇れる偉人の一人です。
そこから 本堂をさらに右へ進むと、最初のお墓です。
和尚さんにお聞きすれば、お殿様時代の家老のお墓だそうです。
さらに入って 左に見える一番高いところにあるこのお墓
2代藩主宗利の側室だった人のお墓だと教えられました。
本堂に入れば この見事な額縁? が眼に入りました。
「伊達宗紀書」とあります。 第7代藩主の揮毫です。
宇和島の代々藩主とその正室の墓所は金剛山大隆寺と竜華山等覚寺である
ことは知っていましたが、家老などの墓所は初めて知り、自分自身改めて
宇和島の歴史に興味を注がされた日になった次第です。
こういう歴史を散策して行くのも、虹色ツーリズムの面白さです。
案内人はおります。 ご一報ください** 「遊」
0 件のコメント:
コメントを投稿